社員旅行 at INDIA

2011年1月31日 (月)

旅レポ 後記

昨夜のアジアカップ、美しすぎるボレーシュートの余韻を未だに味わっています…。


さて、今回の「旅レポ」ですが、仕事をしなくてはいけないという現実からの脳内逃避と

「インドに行く」というとほぼ100%の割合で質問される事…


    1  「インドで何やってるの?何度も行って飽きないの?」

    2  「インドにハマる人って何が面白いの?」

    3  「インドってどうなの?」


これらの回答になればと思い、書いてみた次第です。

口で説明してもうまく伝わらないし、なんだか面倒臭いのでいつも曖昧に答えていたのです

が、少しは伝わったでしょうか?


そして、何故、インドに行くのか? いつも聞かれる質問にして僕自身にとっても最大の

謎…。文章に書いてみると、なんとなく謎が解けた気がします。

町は圧倒的に汚く、人は信用できず、役人は威張りちらしてるくせに役に立たず、すべての

物事がスムーズに進まない………。嫌な所ばかり浮かんできます。

親切だと思ってて、最後にお金を要求される絶望感に何度苦しめられたか…。

ほとんどの旅行者は、この時点で「2度と来るか、こんな国!」となるのだと思います。

実際僕も、滞在中1日1回は「こいつらインド人全員ぶっ飛ばしたい!!」という気分に

なりました(笑)。


でも、日本人からすると想像を絶する汚い町で、粗末な服を着て、地べたに這いつくばって

生きるインドの人々を見ているとたまらなく愛おしくなるのです。


詐欺師を肯定する気はありませんが、彼らとじっくり話してみると仕事や家を失い、

政府からの援助もなく、家族を養うための手段という人が少なくありません。

しかも、それによって得る収入は100円とか500円とかの世界です。 

騙され、纏わりつかれ、無視され、時にはからかわれる。 

最初はまんまと騙されて落ち込み、怒鳴り、つかみ合いになり…と負け続けるのですが

経験値を積んでいくとそれらをうまくクリアし、楽しめるようになる。 

リアルなRPGそのものなのです。

僕はインドに行くのではなく、インドの人たちに会いに、そしてヤラれに行くのだと思いま

す。 


次回「社員旅行」は、イランかイエメンを予定していますが直前になると無意識に

インドビザを申請している自分がいそうです(笑)。



今回テキトーに書いた「旅レポ」、予想外に好評だったので今後不定期に

これまでの旅レポを別のブログか何かにまとめます。(気が向いたら)


 1 南インド ド派手な寺院を巡って、中央インドへ

 2 インドの大都市 ムンバイ ヒッピーの聖地 ゴア

 3 インドの砂漠地帯 ラジャスターン地方&タージマハル

 4 ネパール カトマンズからヒマラヤの麓ポカラヘ 

 5 謎の中国人を探してバンコク→クアラルンプール、そしてマレーの奥地へ(作戦失敗)

 6 サイゴンのHなカラオケ屋で、何故か「イマジン」を歌い上げるマヌケな男←僕

 7 緊迫の陸路国境超え エジプト→イスラエル NATO軍行き交うスエズ運河を渡る

 8 晩秋のパリで野宿、凍死しそうになりながらパリジェンヌに蔑まれる(泣)

 9 カンボジアで船が沈没、タクシーでゲリラの巣窟を突破する

 10 古いアメ車で豪一周、増水した河に車ごと水没する


 などなど


 話のネタは、無限にある上に、どれも鮮明に覚えているのでそのうちまとめます。

2011年1月29日 (土)

デリー→台北

ホテルのあるメインバザールからフランス人カップルとタクシーをシェアして空港へ。

それにしてもフランス語っていつ聞いても優雅に聞こえるなぁ…。 


機内に入ると、これまで過ごしたゴミと騒音とウソツキ共に囲まれた世界から一変。

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今回利用したのは、チャイナエアライン。事故の多さと乗継の悪さからこれまで敬遠して

いたのですが15年ぶりに乗ってみると、CAは優しいし、なかなかメシウマでした。

ただし、成田、台北ともにラウンジの食べ物がショボかった…。

機内食はこんな感じ

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ディナーの前菜
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ランチのメイン 台湾料理をチョイス
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ディナーのデザート


前菜、メイン、デザートの写真は、それぞれ違う便ですがどれもハズレなしでした。


ここ6~7年、国際線はビジネスクラス、現地に着いたら昔ながらのバックパッカー

スタイルという組み合わせが僕の「旅スタイル」です。

よって、特に帰り道は薄汚れた服装&サンダルとかなのでビジネス用のゲートに

行くとかなりの確率で”間違えて来ちゃった人”と勘違いされます。


帰りの飛行機でゆったりできるという安心感から現地でのハードな状況に耐えられるの

かもしれません。


運がいいとファーストクラスにアップグレードされることもあります。


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3、4年前に乗ったファーストクラス


デリーから6時間、台北に到着すると


エアポートバス乗り場がすぐに分かる。窓口のおばちゃんが笑顔でお釣りをくれる、

しかもごまかさない。バスの運転手が行き先をアナウンスしてくれる。 といった

当たり前のサービスが非常にありがたく感じます。


空港から1時間、台北駅に降り立ちどこに泊まろうか としばし呆然。

ガイドブックないし、土地勘も全くない。まとわり付いてくる客引きもいなければ、「どこに

行くんだい?」と声をかけてくる怪しい男共もいない…。あんなに鬱陶しかったのに…。

インド人のしつこさや無神経さが早くも恋しくなります。


テキトーに駅近くのホテルにチェックイン。

部屋に入ると、シーツがきれいな事に驚き、限りなく出るお湯に感動。

この瞬間が台北のピークでした。


あとは何の出会いも刺激もなく、台湾料理食べて終わり…。


もしおじいさんになるまで生きていたら住んでもいいかなってのが唯一の感想です。

2011年1月27日 (木)

デリー最終日

話は戻って、カルカッタからの飛行機は約2時間半でデリーに到着。


勝手知ったるインディラガンディー空港から街へ。

昼間はコンノートプレイス広場で読書をしたり、ヒマなインド人や様々な不要なもの

(サングラスとか子供のオモチャ、靴磨き、耳掃除など)を売り歩く人たちと会話。


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ロンドンでホテルマンになることを夢見るスラパン君

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コンノートプレイスにあるステートマンハウスっていうカッコいいビル


夜になり、今回の旅でインド最後の晩餐へ。


…といっても高級レストランに行くはずも無く、向かったのはニューデリー駅前の安食堂街

にある薄汚い食堂。


自称インド通の僕はメニューを見ることなく「チキンカレーのハーフとバターナン2枚、

パクチー少なめで」と、並のツーリストじゃないぜ オーラを放ちつつオーダー。

迷うことなくハンドウォッシュで手を清めて食事を待つ。(完璧だ)

心なしか、店員も「こいつヤルな」と微笑んでいる…   気がする。


そして、運ばれてきたのが


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付け合せも充実しているし、味もウマい。やはりインド通、食堂の選択にもスキがない。

一緒に出てきたのは、アールーゴービー(カリフラワー&ジャガイモのカレー)と

パニールマサラ(チーズカレー)。しかし全て同じ味(泣)。


全て食べ終わり、メニューをチェックするとチキンカレーが80ルピー、ナンが10ルピー

だから合計100ルピーと値段もまあまあ。


大満足でレジに向かい100ルピーを差し出すと、レジのオヤジはなぜか490ルピーと

書きなぐった紙を差し出してくる。

「またまたぁ、勘違いでしょ?」と笑顔で言うと、「オマエは、チキンカレーのフルサイズと

アールーゴービー、パニール、バターナンを食べたから490ルピーだ」と無表情で

言い放つ。


「ヤラレタ~」  さっきまでこの店に好感を抱き、自分の店選びの嗅覚に酔いしれていた

僕は無性に腹が立ち、猛抗議。「頼んでない」 「頼んだ」と言い争いになり、証人となる

オーダーを取った兄ちゃんを探すも見当たらず…。


そんな騒ぎをヒマなインド人が見逃すはずもなく、いつの間にか人だかりに…。


インドの安食堂は、道路側のドアや壁がないので入り口近くのレジでの騒動は丸見え

状態なのです。


かれこれ10分くらい粘ったのですが、アジアカップの日本代表の如く完全アウェー状態、

中東の笛ならぬ、インドの流儀に全てが面倒くさくなり負け戦を覚悟したその時……



援軍現る!!!



前を通りかかった白人のオバサン。 年のころは50過ぎでしょうか。

シガニーウィーバーのストロングさと、シェリルクロウのグランジ感を併せ持つヒッピー

テイスト溢れる風貌。


事情を説明すると仲介に入ってくれるも、オヤジは頑として折れない。

そのうち、双方がエキサイトしてきてキスしちゃうんじゃないかと思うくらい顔を近づけての

バトルに発展。

「お前らインド人以外でカレーを3種類も頼む奴いね~よ、バカ!!」とか

「ツーリストを騙して恥ずかしくね~のか、ボケ!!」といった内容を放送禁止用語

連発で畳み掛けるオバサン。 「映画みたいだなぁ」なんて思いつつ横で佇む情けない

僕。


結局、オバサンの勢いに圧倒されたオヤジが諦め、ヤジウマの「おぉ~っ」というため息

とも感嘆ともつかぬ声をバックに100ルピーを放り投げて店を出たのでした。


その後、オバサンにチャイに誘われ「ヘイ、わかりやした」と子犬のごとき従順さで

付いていく情けない僕の後ろ姿には「インド通見習い」の烙印が…。


話を聞いてみると、オバサンはアメリカ人で15年近くインドに通い続けているとの事。

まさに日米安保条約がデリーの片隅で遂行されていたのです。

「インド人ってズルいし、街も汚いから嫌いなんだけど何故か来ちゃうのよ」と言いつつ

タバコをプカ~っと吹かす姿はシビれるものがありました。


自分の英語力の無さにちょっとほろ苦い気分を引きずりつつ、翌日デリーから台北へ。

2011年1月26日 (水)

ハリドワールのプージャー

寒さに負けてダラムサラ行きを断念した僕は、アムリトサルの南東に位置する

ハリドワールヘ。 アムリトサルからは列車で約10時間の道のりです。


初期の頃は大幅な遅れにも見舞われずに順調に移動出来ていたのです。


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夜行で到着した早朝のハリドワール。

ガンジス川の上流に位置するこの町は、聖地として有名ですがとても小さい町。

行くところはガンジス川沿いしかありません。


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外国人がガンジス川沿いを歩いていると、頻繁に寄付を求められます。

取り立てるのは一応名札を下げたオッサン達。でも、外国人にはホンモノかニセモノかの

区別がつきません。


ガイドブックによると一度払えば大丈夫との事だったので100ルピーほど払う。

オッサンは「たった100ルピーか!?」とキレ気味ながらも胡散臭い領収書をくれるのですが

寄付した上に何でキレられてるのか理解不能です。

この寄付徴収人は、何人もが散らばっていて1時間おき位に違う徴収人に声を掛けられ、

「さっき払ったから」と領収書を見せると、黙って立ち去る人もいれば、「このエリアは、別

の寄付金が必要だ」と言い出す人もいて、本当のシステムがどうなっているのか全く不明

です。

そんな徴収人と時にはバトルし、時には隠れつつ歩いたり、昼寝したりしているうちに

夕方に。


メインのガート近くに人が集まっていたので、何が始まるのかわからないまま集団に

加わる。 大体1000人くらいが川岸に集まり、前の方は座るように指示される。

川岸は舗装されているものの、濡れた状態なので後ろのほうで立っていようとすると、

前の方のインド人が「ヘイ、ジャパニーズ!こっちに来い!!」と満面の笑みで手招き。

よく見ると、さっきシャッターを押してあげた若者だ。濡れた床に座るのは嫌だったけど

若者の好意を無にするわけにもいかず、前から5列目位に混ぜてもらう。

ガイドブックを座布団代わりに座っていると、古新聞の束を売り歩く老人が…。

インドにはいろんな職業の人がいるのですが、この老人はただ同然の古新聞を

座布団として売っているのです。 


初めに思いついた人すごいなぁ、とちょっと感心してしまいます。

夕暮れが近づいてくると、なにやら拡声器を持った男が寄付金を募りだします。

周りのインド人が次々と寄付をするのですが、寄付した人は名前を聞かれ

拡声器で寄付金額と名前を発表されます。

普通のインド人が300ルピーとか寄付してるのを見て、昼間100ルピーしか払わず、

それ以外断固拒否していた自分が少し恥ずかしくなる。

そして、あたりが暗くなると……

スピーカーから大音量で曲が流れ出し、それに合わせてみんなが歌い始めます。

群集の間を火のついた鍋みたいなのを持った男が歩き回り、幻想的な雰囲気に…。

対岸でも同じ光景が繰り広げられており、なんとも言えない一体感に包まれて

気づくと涙が出ているのでした…。  

デリーの前に

アジアカップ、やりましたね。チョ~うれしいです。


さて、このブログはごくごく限られた奇特な少数読者に読まれているわけですが、

その中からアムリトサルとハルドワールのレポが薄すぎる!とご指摘を受けたので

補足記事としてアップします。


デリー初日、ホテルに併設されたトラベルデスクでパキスタンのビザがデリーで取れるか

聞いてみたところ日本大使館の書類が必要な上に日数がかかると言われてしまう。

事前に調べなかった事を悔やみつつ、「何とかならないかなぁ?」なんて粘ったら

「パキスタンなんてクソ国家、行く価値はない!!」とキレ気味に言われる始末。

そう、印パは過去何度も戦争をしていて今でもお互いイガミ合っているのです。


ビザ申請が面倒臭くなったので、行き先をダラムサラに絞り、途中にあるアムリトサルヘ。


デリーから列車で6時間、アムリトサル駅からはサイクルリクシャで町に向かう。

しかし、このリクシャワーラー(ワーラー=運転手)がかなりの高齢の上に栄養失調気味。

僕を乗せてフラフラと動き出すも、周りの車やバイクからクラクション鳴らされまくりで

ちょっとした勾配でヨロつく始末。 結局、緩い坂道でも2人でリクシャを押して進み、

急な上り坂では僕のほうが力を入れてるんじゃないかと思いつつ、何とか町に到着。


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切ない背中。 ガッチリして見えるけど、着膨れてるだけ。


国境セレモニーは日暮れに行われるとの事だったので16時半頃にそこらにいた

オートリクシャ(3輪オート)を捕まえ、国境に向かう。


国境のあるアターリーの町は30キロ先なので30分で着くとの読みだったのですが…。


このオートリクシャが郊外に出た途端、エンジン不調に陥るというミラクルを起こし

1時間20分もかけて国境到着。


薄々予想してたけど……、終わってましたよセレモニー。


戻って来た観客に「何時から始まったの?」と尋ねると、冬場は16時半頃から始まる

らしい。出発した時点で間に合ってなかった(泣)。


このままでは終われない、翌日リベンジ。昨日の教訓を生かし15時には乗合いタクシーに

乗り込む。

この乗合いタクシー、タクシーとは名ばかりでボロッボロの軽ワゴンで完璧白タク。


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この素敵なマシンに運転手と僕以外にインド人家族×2で合計11人がぶち込まれます。

僕の席は前席中央、右足は運転席、左足は助手席、股間からシフトレバーという

事故ったら確実に死ねる特等席です。

ふと後部座席を見ると、軽自動車の車幅で4人掛け×2列というギュウギュウ具合。

前も地獄、後ろも地獄です。


無事、セレモニー前に会場に着くが観客席はもう人でいっぱい。

結局思いっきり端っこのほうにしか入れなかったので、セレモニー自体はよく見えなかった

のですが、周りのインド人が超盛り上がっていてこちらもテンションアガリました。


ケータイ動画を圧縮したので見づらいですが、雰囲気が伝わればと……。



画面奥がパキスタンで、画面中央の落ち着いているエリアは女性専用席。

僕がいる男性席は口から泡を噴き出して絶叫している男達に囲まれた異空間。

1分過ぎくらいから盛り上がってきます。

動画でも分かりますが、僕のいる位置からセレモニーはよく見えません。


…にも関わらず、盛り上がるインド人。これもパキスタンへの対抗心なのでしょうか?

その愛国心、ちょっとうらやましいです。


頭にトサカみたいなのを着けてるのが衛兵なんですが、見た目重視で選ばれるらしく

皆180オーバーでスラッとしたモデル体型。かなりのイケメンです。

セレモニー終了後は観客がなだれこみ、衛兵を囲んでの記念撮影大会が始まります。


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あまりの人気にこれ以上近づけず…。




続いてハルドワール編へ

2011年1月24日 (月)

カルカッタ大好き

カルカッタの玄関口 ハウラー駅は街の中心から離れており、ヤムナー川という

大きな川を渡ります。 タクシーやバスでも行けるのですが、河にかかるハウラー橋を

見たかったので渡し舟的フェリーをチョイス。


しかし、これが裏目に…。


10分ほどで対岸に近づくと薄暗い桟橋には、人、人、人…。 駅に向かう人たちが

溢れんばかりに待っています。 

なんか、ヤバそうだなぁ…と思いつつ、降りる準備をしていると

降りる人優先とか、譲り合いとかの概念のないインド人共が着岸前からなだれこんで

来ます。 


ニュースとかでよく見るバーゲン会場に殺到するオバサン以上の迫力に圧倒されつつ

何とか降りようと試みるも、でかいリュックが船内に向かう人の波に持っていかれる為

進めません。桟橋と船との間にはスキマがあり、足元も見えないような状態で無理矢理

降りて川に落ちたら確実に死にそうだったので下船を諦め、そのままハウラーに引き返す

ハメに…。「なんだよ、インド人~」と思いつつ、バスでの再チャレンジとなったのでした。


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動いてるのが不思議なくらいボロいバス


翌朝 街に出てぶらついてみると、なんともいえないイイ感じ。直感的に肌が合うというか

空気感が合うというか…。 活気があるけど、ガツガツしてない。

街の人はみなフレンドリーで親切。デリーなどに比べるとズルい奴らが少ない印象。

そして何よりメシがうまい。イスラム教徒が多いのでイスラム系の料理から中華料理、

何を食べてもハズレなしでした。


中でもハマったのが チョウメンというインド風焼きそば。 日本のソース焼きそばと

塩焼きそばの中間のような味でちょっとスパイシー。


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こんな感じで路上で作っていて、客は立ち食い。お値段たったの12ルピー(24円位)。

まさに、「お値段以上、ニトリ」な感じです。


普段の生活では、何を食べるか迷うのも面倒だし、食べるという行為自体興味ないので

1日1食の生活なんですがここカルカッタではお腹いっぱいなのに次にあれを食べようとか

考えて、1日4食、さらに間食にチョウメンという過食状態に陥りました。


また、街の中心にモイダン公園というデッカイ公園があるので昼寝にも最適。

クリケットを楽しむインド人を見つつ、読書したり昼寝したり…。

ヒマなインド人は腐るほどいるので、暇つぶしの話相手にも困らない。




カルカッタの街角にて

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タバコ屋の前に吊るされた火のついた縄

これがすご~くゆっくりと燃えていてライター代わりになってる


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肉屋の前に繋がれてるヤギ

あと何日の命なのか…


長居するにはもってこいの街なんですが、そろそろタイムリミットが近づいています。

メール&ケータイに1月末から2月にかけての仕事の連絡が何件か入っており

急に現実に直面してブルーになりつつも、日本行きの日程を予約。 

往復のオープンチケットで来たため、デリーに戻らなければなりません。


カルカッタ→デリーは距離もあるし、列車が遅れて飛行機に乗り遅れると面倒なので

インドのLCC 「スパイスジェット」の航空券を入手。 直前予約だったので少し高くて

5000ルピー(10000円位)。 


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「カルカッタ、また来るぜ」と思いつつ、デリーへ


これで、デリー、ムンバイ、カルカッタ、チェンナイ、バンガロールとインド5大都市を

制覇。ようやくインド通になったかなぁと余裕をかまして戻ったデリーでまたもや

インド的仕打ちに打ちのめされるのでした……。


続く

2011年1月23日 (日)

一路、カルカッタへ

幸運にも、カルカッタ行きの列車のシートがキャンセル待ち9人目だったので乗れると信じ

ヴァラナシ駅へ。

駅前は、列車を待ってるのかよくわからないインド人で溢れています。


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16時45分発なので、遅れるとわかりつつも16時半には駅でスタンバる律儀な僕。

エンクワイアリーという窓口で、キャンセル状況確認すると予想通り席が確保できて

ました。

 

インドでは、ウェイティングリストといってキャンセル待ちにも順番が割り振られます。

そして、その列車が始発駅を出発する少し前に空席調整が行われキャンセル席が

割り当てられるのです。これまでの経験上、10番以内ならば確実に乗れます。 

始発駅なら各車両の出入り口に乗客全員の席番号と名前が貼り出されます。

途中駅ではプラットホームに貼られてます。なんてことないことなんですが

初めてインドの列車に乗った時に自分の名前を見つけたときはうれしかったなぁ。


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当たり前のように4時間遅れで到着した列車、車内は案の定ゴミだらけ。


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インド人はゴミに関して驚くほど無頓着なのでその場にガンガン捨てます。

窓が開く車両は、窓から放り投げるので線路上はホントにゴミだらけです。

ただ、車内のゴミに関しては駅ごとに小さな子供(障害者率高い)が乗ってきて

床を這いずってゴミを片付けます。 そして、乗客にチップをねだるというインド流の

システムが確立されているので駅ごとにきれいになるのです。


毎回遅れるインド国鉄。 タイトな旅行には致命的ですが、何とも言えない魅力が

あります。 新幹線より広い軌道を20両以上の客車を引っ張る古いディーゼル車。

日本の電車をしなやかなカモシカとすると、インドの列車は老いぼれの猛牛って感じ。

もう「Co2問題とか騒音問題とかカンケーね~よ」といった感じで、トイレは全て

線路上に垂れ流し、ドアは開きっぱなしというワイルド仕様でインドの大地を疾走する

姿には人間味すら漂ってきます。

また、発車のベルも無ければ車内アナウンスも無し、24時間遅れても払い戻しは

おろか、遅延理由の説明や謝罪の一言もなし といった客に媚びない姿勢が

不器用な男、高倉健ばりの男気を感じるのです。



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ちなみに、今回の大幅遅延の理由は濃霧の為だったようです。

同乗したパプアニューギニア人のオッサンがどこからか仕入れてきた情報。

そういえば、パプアニューギニア人見たの初めてだなぁ、と思いつつ

話してみるとホテルをいくつか経営しているらしく、バカンスで一人旅中とのこと。

英語うまいねって言ったら、公用語が英語なんだって。 知らなかった。



冬のインドの霧はハンパないです。 視界10メートル位。


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空港も閉鎖されるほどの濃霧でもお構いなしに突っ走るタクシー。

対向車のライトとクラクションの音でなんとかぶつからないらしいが

怖すぎて助手席には乗れません。



そんなこんなでカルカッタまで17時間の予定がまたもや25時間かかって翌日の夜遅く

カルカッタ到着。

沢木耕太郎の「深夜特急」や藤原新也の「印度放浪」などを読んでいて

密かに憧れていたカルカッタ…。 インドで最も騒々しく、最もインドらしい大都会、らしい。

期待を膨らませ、安宿街で超有名なサダルストリートヘ…。


続く

2011年1月22日 (土)

ヴァラナシにて

朝8時、行くところないのでとりあえずガンガーへ。
ここヴァラナシでは英語名のガンジスより現地語のガンガーのほうがしっくりくる感じです。

「早朝から沐浴かましてるんだろうなぁ」と思いつつ、ずらりと並んだガート(沐浴場)へ。 

しかし、予想に反して沐浴してる人はまばら…。 
そうです、インド人もビックリするくらい寒いんです。



列車内で地元の人に聞いたら、25年ぶりの大寒波が襲ってるらしく、寒すぎて死にそうだって言ってました。



河原では、100メートルおき位に焚き火を囲む正体不明な男たちがたむろしています。
前を通りかかると「寒いだろ?あたっていけよ」的な仕草をされたので輪に加わる事に。
英語を話さない人たちだったので交わした会話は、



インド 「ジャパン?」
僕   「ジャパン」
インド 「トーキョー?」
僕   「イェス、トーキョー」
インド 「オッケ~ィ」



何が「オッケィ」なのかわからぬまま、会話終了。
その後1時間近く無言のまま、チャイを振舞われたりしながら時間つぶし。
通常だと、意味のない沈黙には耐えられないんですが焚き火を囲んでガンガーの流れを見てると、何ともいえない安らぎを感じます。



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朝もやのガンガー



その後、ガイドブックなどでもおなじみの火葬場へ。
インドの火葬場は、間近に行くことが出来るけど、撮影は厳禁です。
マジギレされた上に、罰金とられるらしいです。
僕は、カトマンズでも見てるので特になんとも感じなかったんですが、初めて見る人は
ちょっと衝撃あるかもしれません。



ちなみにカトマンズの聖地、パシュパティナートの様子は
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カトマンズは、インドと違って撮影OKでよく見ると薪の組み方も違います。
また、カトマンズは遺体の上に藁を被せて上下から焼く感じですがインドは下からの
火力のみです。



火葬を見てると後ろの方で、サンバ的なタイコとガムランの音が…。
音のするほうに行ってみると、インド的 ミニミニレイブが突如幕開け。


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3人組の鼓笛隊みたいなオッサン達が激しすぎるリズムを刻みだし、近くにいた
10人くらいのオッサン達が激しすぎる動きで踊ってます。
よく見ると皆の瞳孔はフルオープンで、カンペキにキマッてる状況です。
その横では、白目を向いて何かを吐きながら痙攣してるオッサンが
横たわっているのですがその存在を気にかける人はゼロ。

そこからわずか10m先では、燃やされる遺体、その真横で暖を取る野良牛、
死肉を狙ってうろつく野良犬、それを取り囲むツーリストとヒマなインド人。

その時感じました………   「あ、これがカオスかぁ」と。

インド、特にここヴァラナシではドラッグがほぼ公認され政府認定の大麻屋、
通称「ガバメントショップ」があるくらいなので、歩いてると1日何十回も売人に声を
掛けられます。 40近いオッサン(僕)が海外でドラッグやってる場合じゃないので
買わなかったけど多くの旅行者がドラッグにハマり沈没してるようです。

さて、次なる目的地はブッダが悟りを開いたブッダガヤか、パトナか、カルカッタかと
迷ってる時にカルカッタから旅行に来ているインド人老夫婦(かなりインテリ風味)と
知り合い、カルカッタを激押しされ、しかも昼間は半袖で大丈夫だとの有力情報が
入ったのでカルカッタを目指し、またもや夜行列車に乗り込むのでした。

続く

2011年1月21日 (金)

ハルドワールからヴァラナシへ

 ヴァラナシ行きを決めた僕は、さっそく駅に列車の予約を入れに。

 …しかし、直行する列車は向こう数日間キャンセル待ちの状況。

仕方なく、ハルドワール→デリー(乗り換え)→ヴァラナシという2等車をゲット。



 ここで、インドの鉄道事情について。

 インドはほぼ全土に鉄道網が伸びていて、WEB上で予約、Eチケットで乗車

出来ます。昔ながらに、駅の窓口で買うことも可能です。しかしながら、券売機という

気の利いた物は存在しないので窓口の行列に並びます。

しかも、ただ並んでるだけではダメで、頻繁に割り込みをかましてくるインド人との

バトルが必須です。

 1、2等は、予約しないとまず乗れなくて3等は予約なしで乗れるのですが、

3等車の混雑っぷりはハンパありません。

3人シートに5~6人詰め込まれ、通路やデッキ、荷物置きまで人であふれます。

窓は、鉄格子がはめられ、壊れたガラスが閉まらない又は開かない確立が高く

もちろんエアコンなしです。

 6時間以内の移動なら我慢できますが、それ以上となると拷問です…。

旅行者がよく利用する2等は、昔のブルートレインのB寝台って感じで

エアコン付です。

 しかし、人口の割りに列車の本数が少ない上に、1、2等の連結車両が少ないので

2、3週間前でもキャンセル待ち状態のこともあります。








 朝7時にハルドワールを出発し、順調にお昼頃デリー着。 

18時半のヴァラナシ行きに乗れば、翌朝7時に到着の予定。



……のはずが、夕方になって出発時刻が22時半に変更。

「まぁ、4時間遅れなら仕方ないか」と駅で待ち続ける僕。



すると、22時ごろにまたまた遅延発表!!

翌朝3時半出発という愕然とする時間設定。

日本なら暴動ものですが、ここはインド。 ご飯食べたりしながら

気長に待ちます。



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 人で溢れる待合室。 椅子はもちろん通路までビッシリと人で埋まってます。

 もちろん暖房無しなので、人の熱気のみでかろうじて居られる寒さ。



プラットホームも人で溢れてる状態です。







 待合室で無理矢理スペースをこじ開けて石の床に、ブランケット&寝袋という

刑務所以下の状況で仮眠しつつ、待つこと、7時間…。デリー到着からだと15時間待ちで

す。





 そして……、ついに、満を持してというかんじで来ました、「SHIV GANGA EXPRESS」。

こんなに待ち焦がれた列車、神々しささえ感じます。



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  遅れたイライラも暖かい列車内に入れる喜びで吹っ飛びます。

眠さと寒さでフラフラしながら乗り込むが、一向に出発しない。

 結局ホームでさらに2時間停車し、朝の5時にノロノロ出発。

「約12時間の道のりだから、夕方に着くのかぁ…」なんて思いつつ爆睡。







 しかしながら、インドはそんなに甘くなかった。

走っては止まり、走っては止まりを繰り返し、駅では2時間停車なんて

ことをしてるうちに気づけば夜になり、目的地に着いたのは結局翌朝。










Sn3g0246

 のどかな駅で、うんとも寸とも言わずに停まり続ける列車。





 出発が11時間遅れて、走行中に14時間遅れてトータル25時間遅れ。

予定時間の12時間と合わせて26時間も乗っていたことになります。






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 車内に貼ってある正規のタイムテーブル








 疲れきった体で、朝もやに煙るヴァラナシ駅に降り立ちチャイでリフレッシュ。



 とりあえず、ガンジス川を目指したのでした。



 続く

2011年1月20日 (木)

帰還しました

今さらながら、あけましておめでとうございます。



年末より出かけていた「独り社員旅行」から戻ってきてしまいました。

今回は、パキスタン、ダラムサラ(チベット亡命政府のある村)あたりを

攻めるつもりで3度目となるデリーに入ったのですが、チョ~寒い…。

パキスタンとの国境の町、アムリトサルまで北上したところで

東京とあまり変わらない気温&曇天に意気消沈…。

息が白くなるような寒さの中、インドのボロホテルは隙間風ビュービューで

お湯は3リットル位で打ち止め、その後は冷水というインド仕様。

寝袋&毛布2枚でも寒くて眠れない夜にポッキリ心が折れました。



これ以上の北上はムリ、「そうだ、南に行こう」(by JR東海的)と予定変更。

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アムリトサルにあるシィク教の総本山、黄金寺院。





ちなみに、インド人=ターバン≒タイガージェットシンのイメージが強いですが

ターバンを巻いてるのはシィク教徒だけでインド人のわずか2%です。

髪の毛とヒゲをカットしない習慣なので、ターバンの中はロンゲです。



とりあえず印パの国境セレモニーを見てガンジス川上流の聖地

ハルドワールヘ南下。

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ちょっとカッコイイ国境警備のオヤジ。




ハルドワールでは、ヒンズー教の祈りの儀式「プージャー」を体感し、

思わず涙したのでした。

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まだまだきれいなガンジス川。下流のヴァナラシに行くとゴミ&死体が…。

更なる暖を求めて、ガンジス川を下流に下ることに決め、

そのヴァラナシを目指すのでした。



続きは、後日。

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